私の首を絞めていたのは、自分で決めたマイルールだった
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記事:あおい(ライティング・ゼミ)
「だってお兄ちゃんだから」
この一言の威力、私にはとてつもなく大きな壁だった。
小さいころ、ごはんやお味噌汁の出てくる順番はいつも兄が先だった。
お肉やお魚の大きさは、いつも兄の方が大きかった。
「なんで私はいつも後なん?」
「なんでお兄ちゃんのお肉の方が私より大きいん?」
私が訴えると、母はこう言った。
「お兄ちゃんは男やし、あんたより大きいやろ。だからお腹がすくの」
兄とは9つ離れている。当時は私が小学校1年生、兄は高校1年生、間違いなく食べ盛り。
そりゃお腹もすくだろう。
でもその頃の私はこう思っていた。
「私だってお腹すいてるわ。早く食べたいわ。お兄ちゃんばっかりひいきしてる」
母にこんな手紙を書いたことがある。
「私とお兄ちゃんと、どっちが好きですか? 本当のことを教えてください」
母からの返事はこうだった。「どっちも大事な子供だからどっちも好き。平等です」
何度聞いても、母の答えは変わらなかった。
嘘でもいいから「あなたの方が好きよ」と言ってほしかったけど、母はかたくなに平等ですと言い続けた。
「本当はお兄ちゃんの方が好きなのに、そうは言えないからあえて平等って言ってごまかしてる」
大人に囲まれて育ったせいか、子供らしい子供でなかった私は、そんな風にひねくれた受け取り方をしていた。
中学生の頃だったか、休みの日に友達と繁華街に遊びに行くことになって、ちょっと帰りが遅くなることを母に告げたとき、母はものすごい嫌な顔をしてダメだといった。
「お兄ちゃんにはそんなこと言うてなかったやんか!」と私が反論すると、
「あんたは女の子やから」と一言。
「女の子やったら何があかんの?」
「女の子は危ないからあかん」
男だから、女だから、お兄ちゃんだから。うんざりだった。
だってどうしようもないじゃないか。男になりたいったってなれるわけないし、兄よりも年上になることだってできない。
それ言われたら、もう終わり。私にとってはくつがえしようのない魔の一言だった。
母は嘘つきだ。平等って言いながら、全然平等じゃない。
私は自分の子供が生まれたら、「男だから……」とか「お姉ちゃんだから……」とか絶対に言わない。
そのときそう心に誓った。
29歳の時、長女が生まれて、1年8ヶ月後に次女が生まれた。
私は長女のことをお姉ちゃんと呼ぶことはしなかった。どんな時でも名前よび、妹にも名前で呼ばせるようにした。
その2年後に長男、6年後に次男が生まれ、4人兄弟になっても、私はそれぞれ名前で呼ぶことを徹底した。その影響で子供たちもお姉ちゃん、お兄ちゃん、と呼ぶことはなく、自然に名前を呼び合うようになった。
それは男女の違いや兄弟の上下が原因で、傷ついたり諦めたりしてほしくない、という私の過去の経験からくる思いだった。
ところが、子育てをするうちに、自分で決めたそのルールは、結構面倒だということに気づいた。
たとえば兄弟でお菓子の取り合いになった時、「お姉ちゃんだからがまんしなさい」という言葉は、手っ取り早くその場を収束させるにはとても便利な言葉である。ところが、お姉ちゃんと呼ばないと決めたからには「お姉ちゃんだからがまんしなさい」という言葉は口が裂けても言えないわけである。だから私は、どんな些細なことであっても、この喧嘩の原因はなんなのか、ひとりひとりの話を聞いて平等に判断する、ということをいちいちやっていた。
日々勃発する兄弟間でのもめごとに、こうやって毎回対応するのは結構大変なことだった。でも、自分で決めたマイルールこそ正しいのだ、と思い込んでいた私は、子供を平等に育てていると自負していたのだった。
そうやって大変な思いをしながらもマイルールを守り続けて20年、長女が大学2年生になったばかりの春の出来事だった。長女が腸の病気になり入院することになった。下痢が続いて何も食べられず、点滴生活で体重はみるみるうちに10キロ近く痩せてしまった。
それはもう心配で心配で辛い毎日だったが、できるだけ娘の前では暗い顔を見せないように、明るく振舞っていた。
思えば4人の子供の子育てで必死だったここ10年あまり、長女と二人っきりでゆっくりと時間を過ごしたことはなかったかもしれない。病気になったことは辛いことだけれど、今しかないこの時間を大事にしようと思い、長女じっくり話をすることにした。
長女が覚えていないような赤ちゃんの頃の話や、小学生の頃のこと、兄弟が生まれた時のことなど、お見舞いに行くたびに本当にいろいろ話をした。
「なあなあ、小学校一年生の時やったかなあ、セーラームーンのコンパクトが欲しいって、おもちゃ売り場でものすごい大泣きしてさ、どうせすぐ飽きるし大事にしないからダメっていうても、大事にするから! って泣き叫んで、ごねてごねて、仕方なく買うことになったの覚えてる?」
「ああ、覚えてる。なんであんなもん欲しかったんやろな」と長女。
「あの時は激しかったな、手に入れるまで諦めんかったもんな」と私。
そのときふと思った。
手に入れるまで諦めない、小さい頃の長女はそうだった。
小学校3,4年生まではクラスの中心になるぐらい活発だったし、自己主張も激しく元気いっぱいの子供だった。ところがある時から、あまり自分を出さなくなり、いつのまにかおとなしい子供になっていた。思春期のせいかなと当時は思っていたのだけれど、大学生になった今は、兄弟の中でも一番おとなしい存在で、自分から積極的に発言したり、動くタイプではなくなったようだ。次女や長男は、子供のころとそう変わっていないように思うけれど、長女は180度性格が変わってしまったようで、実はそのことが気がかりではあった。
気にはなっていたけれど、そんなことを改めて話したこともなかったな。
せっかくの機会だし、娘に聞いてみようと思った。
「ねえ、さっきのコンパクトの話じゃないけど、小さい時ってさ、手に入れるまで諦めないぐらい意思が強かったし、すごい活発やったよね。でもいつの頃からかあんまり自己主張しなくなったよなあ。なにかきっかけがあったんかな?」
唐突な母からの質問に、娘は少し戸惑っていたようだったが、しばらく考えたあと、
中学、高校と先生が厳しくて、抑えつけられているように感じていたことや、
友達と接する中で、そういう立ち位置になってしまったことなどを素直に話してくれた。
「へえ、そうだったんだ。初めて聞いたわ」と私が言うと、
「実は他にもある……」と娘。
「何なん?」と私は興味津々で娘の話に耳を傾けた。
彼女は言いにくそうにこういった。
「私らが小さい時、喧嘩ばっかりしてたから、ママの機嫌が悪くなることがよくあったよね」
そう、確かにあった。
4人の子育ては想像以上に大変だった。おまけに、男女、兄弟の分け隔てなく育てようと思ったことが、余計に私の首を絞めていた。
そのあと続けて彼女はこういった。
「そんなママを見ててさ、
私さえ我慢すればこの場は丸く収まる、っていつも思ってた。
妹や弟は言いだしたら聞かないし、お姉ちゃんの私さえ我慢すればいいんだって思った。
そうすればママは機嫌悪くならないだろうって。
それがきっかけで、どこに行っても自分さえ我慢すればっていうくせがついてしまったのかもしれない」
ああ……
言葉が出てこなかった。
なんということだろう。
お姉ちゃんだから、と一度も口にしたことはなかったはずなのに。
彼女はお姉ちゃんだから我慢していたのだ……
思い起こせば子供がまだ小さい頃、繰り返される兄弟間の揉め事にうんざりして感情的になった私は、夕食を作っている最中に急に家から出て行ったり、小さかった次男だけを連れて、夜に車で出かけてしまったりしたことが何度かあった。
もちろん本気で家出したわけではなく、ちょっとだけ、気持ちを切り替える時間が欲しかっただけだった。
だから気持ちが切り替わったら帰るつもりだったし、実際に1,2時間後には家に帰り、いつもどおりの日常に戻っていたつもりだった。
でも正直、あんたたちがしょうもないことで揉めるから、私はこんなに大変なんだということを子供にわからせたいという気持ちもあったと思う。それぐらい私はいっぱいいっぱいだった。
そんな私の態度を見て、感受性の強い長女だけは気づいていた。
ママは私たちのせいで苦しいのだと。
当時まだ小学生だった長女にしてみれば、1,2時間とはいえ、自分より小さい妹、弟と3人で置いてきぼりにされて、そうなってしまった原因を、自分の責任のように感じていたのかもしれない。
お姉ちゃんと一度も言ったことはなくても、
「お姉ちゃんの私が我慢すれば、ママが機嫌悪くなることもない」
心の中でずっとそう思い、いつの間にかお姉ちゃんの立ち位置で振舞っていたのだ。
ショックだった。
母の育て方を否定し、男女の差、兄弟の差をなくそうとするあまり、私が思う平等で正しい子育てをしようと必死になる、そして対応しきれなくなった挙句、感情的になり爆発する。
それを見た長女が我慢をすることを覚え、結果的に私が一番避けたかった「お姉ちゃんだから」という兄弟間の格差を生み出していたなんて。本末転倒じゃないか。
あんなに頑張ってマイルールを守り通してきたことが何の意味もなかった上に、結局は長女に私と同じ思いをさせてしまったことが本当にショックだった。
私は、声にならない声で「ごめんな」と謝りながら、下を向いて泣いていた。
そんな私を見て、娘も泣いているようだった。
しばらくして娘がぽつりとこういった。
「いろいろ話聞いてくれてありがとう」
その一言で、私はなんとか救われたような気がした。
そう、よくよく考えてみれば、
お姉ちゃんだから我慢しなさい、と言ったところで、我慢する子はするだろうし、しない子はしないだろう。
男の子だから、女の子だから、って言われても、私のように気にする子もいれば、気にしない子もいる。
言わなくても感じ取る長女のような子もいれば、言ってもわからない子もいる。
同じことをしても受け取り方が違うのだから、平等な子育てなんて、そもそも無理な話……
そのとき私は気づいた。
私が苦しかったのは、本当は子供たちのせいではなく、自分で決めたマイルールのせいだったのだと。自分の決めたルールで、自分を縛りつけていただけなのだと。
結局のところ、「正しい子育て」なんてそんなものはなかった。
私は自分の正しさを、ただ子供に押し付けようとしていただけだった。
本当に大事なことは、今みたいに一生懸命に子供と関わること、それだけで良かったんだと、この時私は長女教えてもらったような気がした。
長女が病気になってくれたおかげで、長女が本当のことを話してくれたおかげで、私は子育てで一番大切なことに気づいた。それは裸の王様だった私が、服を着ていないことに気づいた瞬間だった。
あれから4年。今は長女も次女も長男もそれぞれに家を出て一人暮らしをしている。
ありがたいことに、こんな母親でも子供は立派に育ってくれた。
今年の正月は、久しぶりに兄弟4人が揃い、家族全員でむかえるお正月。
みんな元気でいてくれることが何よりもありがたいと思う。
すっかり大人になった子供たち、もうお菓子の取り合いをすることもないだろう。
テレビの争奪戦もないかもしれない。今となってはそれもちょっと寂しいような、つまらないような気もする。
なんならこれまでのお返しに、今度は私が夫と夫婦喧嘩でも繰り広げてみようかしら。
「大人なんだから我慢しなさい」って言うだろうか、子供たちは。
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